20万年の人口変遷史

IMASENZE

人口の変化を一義的に決めるのは出生と死亡です。出生がとくに強くかかわっています。出生と死亡の原パターン、人口爆発の遠因になるヒトの生きる力。現生人類の20万年の人口変遷から現在の異常状態を俯瞰的に把握する。

参考文献:ヒトはこうして増えてきた
著者:大塚柳太郎

出生と死亡の原像

ヒトが誕生してから約20万年が過ぎました。1世代を25年とすると8000回ほど、30年とすると6700回ほどの世代交代があったことになります。その大半の期間、ヒトは農耕も家畜飼育も行わず、野生動植物だけを摂取しながら自然界の一員として生きていたのです。

現生人類の生活史の大半を占めている狩猟採集民としての出生と死亡のパターンは、どのようなものだったのか?この興味深い疑問に明確に答えるのは不可能です。しかし、現生する狩猟採集民や農耕民などの調査や遺伝的にもっともヒトに近い類人猿、チンパンジーの出生・死亡パターンとの比較で、その輪郭はだんだんと明らかになってきました。

死亡の原パターン

ヒトの年齢別死亡率には一定の規則性がみられます。出生直後がきわめて高く、徐々に低下し、10歳を過ぎるころから比較的低い率で推移した後、年齢が高くなると再び上昇します。

狩猟採集民の生命表として知られているのは、北アフリカの二つの遺跡(モロッコ タフォラルト洞窟 / アルジェリア アファロウ洞窟)から出土した人骨から推定死亡年齢を調べ、男女こみでつくられたマグレブ・タイプ生命表です。

マグレブ・タイプ生命表に基づく生存曲線から読み取れる特徴は、年齢1歳までの生存率が0.77と低く、生後1年で1/4近くが死亡する出生直後の高死亡率です。3歳ころから死亡率は急速に低下するものの、10歳までに出生した半数は死亡します。10歳ごろから20歳近くまでの年齢別死亡率が最低になり、その後は大きな変化はなく平均寿命は21.1年になります。

出生の原パターン

人口再生産にかかわる項目は、チンパンジーとヒトでよく似ているものの少しずつ異なっています。最も異なるのは、授乳期間がチンパンジーの4年に対しヒトでは2年と短いことです。ヒトが道具や火を用い食物を消化しやすいように加工し、早い時期から赤ん坊に離乳食を与える影響が大きいと考えられます。授乳中の母親はホルモン作用により妊娠しにくい状態になるので、授乳期間の短縮によりつぎの妊娠の機会が早まるからです。

授乳期間の違いを反映し出産間隔(チンパンジー5年、ヒト4年)はヒトで1年ほど短くなっています。一方、初産年齢はチンパンジーのほうが5歳ほど若い(チンパンジー14歳、ヒト19歳)です。初産年齢で第一子を出産し、平均的な出産間隔チンパンジー5年、ヒト4年)にしたがい最終出産年齢まで出産すると仮定すると、チンパンジーでもヒトでも総出産数は6になります。

チンパンジーでもヒトでも40歳以前に死亡する個体があり、マグレブ・タイプ生命表にしたがうと16歳に到達する者のうち40歳まで生存するのは、52.4%とほぼ半分くらいになります。再生産年齢における死亡率などを考慮すると、実際の平均生涯出産数は4と5の間になります。

潜在的な出生力

出生と死亡の平均からは分からないのが個人差です。とくに注目されるのが出生にみられる個人差で、生涯をとおして出産しなかった女性から生涯出産数が8〜9あるいは10にもなる女性が存在することです。このような多産女性は、良好な栄養状態を維持し重篤な病気にもかからなかったでしょうが、初産年齢が19歳で最終出産年齢が40歳とすれば、出産間隔は2年半かそれ以下になります。

そのような短い出産間隔は、4年の授乳期間が必要なチンパンジーでは不可能です。ヒトの出産数の増加を引き起こした要因として、出産間隔の短縮とともに初産年齢の低下も指摘されてきました。

身体特性と妊娠との関係の研究では、初経(初潮)年齢は暦年齢よりも皮下脂肪層の厚さなどとよく相関すつことを見出しています。栄養状態がよくなると、初経年齢が低下するのです。ヒトの多産を可能にする潜在的な出産力が、後に起こる「生きる力」の変化とともに顕在化し、人口爆発の遠因になるのです。

ヒトの出生と死亡の「平均的」レベルが、毎年のようにつづいたとは限りません。たとえば、厳しい異常低温や異常乾燥、感染症の大流行、長期にわたる戦争とそれにともなう社会の混乱などが起きれば、人びとは栄養状態・健康状態は悪化し、死亡率にも出生率にも影響したと考えられます。

このような状況に見舞われると、人口は減少したでしょう。しかし、ヒトは人口を増加させる潜在的な出生力をもっており、状況が悪くないときに人口を増加させたはずです。

感染症のリスクの増大

ヒトの歴史のなかで、多くの生命を奪ってきた病気は感染症です。感染症とは、病原微生物である細菌、ウイスル、リケッチア、寄生虫などの病原体が、ヒトの体内にはいりこむことによって感染します。

病原体も生物ですから、みずからの生命を維持し増殖するように進化しつづけるのです。そのための基本戦略は、ヒトを含む宿主の動物種の多くの個体にはいりこむこと、それにもかかわらず感染した個体を殺さないことです。宿主である動物種と病原微生物の間には、長い進化の過程で、ともに死なないか死ににくい状況がつくられてきたのです。

狩猟採集民として遊動的な生活を送っていたヒトが定住をはじめてから、多くの感染症に羅患するリスクが高まりました。集住という住居形態は、病原体が宿主であるヒトをつぎつぎに見つけられるのです。病原体を媒介する蚊、ノミ、シラミなども、ヒト以外の宿主であるネズミなど動物も集住の度合いが増すほど生息しやすいのです。

感染症のリスクをさらに高めたのが家畜飼育の開始です。家畜動物はヒトの生活圏にはいりこみ、一方で野生動物とも接触しながら生存します。とくにヒトへの感染リスクを高めたのは、家畜動物の糞便に接触する機会の増加です。

ヒトがかかる感染症の多くは動物由来です。熱帯を中心に流行する感染症と温帯を中心に流行する感染症を比べると、熱帯を中心に流行する感染症は野生動物由来のものが多く、温帯を中心に流行する感染症は家畜動物由来のものが多いのです。

その理由は、家畜飼育が開始され広く行われた地域が温帯だったからです。家畜由来と考えられているのは、天然痘麻疹百日咳ジフテリアA型インフルエンザハンセン病など多くの数にのぼります。

結核マラリア

現在も死亡数がもっとも多い感染症は、結核マラリアです。結核を発症させる結核菌は、感染したヒトを生き延びさせながら、咳やくしゃみをとおして別のヒトに感染するように進化したのです。

結核菌は約7万年前にヒトの「出アフリカ」とともにユーラシア大陸に広がり、農耕社会に移行し集住が進んだことで結核菌の進化が加速されたと推測されます。

マラリアは原虫によって引き起こされます。ヒトに感染するマラリア原虫は、5種で野生動物とくにサルのマラリア原虫に由来すると考えられています。マラリアへの感染は農耕の開始以前にもあったでしょうが、感染が広まったのは、ヒトが定住生活に移行した一万年くらい前のことと考えられます。

それは、ヒトが高密度で居住することに加え、気候が高温湿潤になりマラリア原虫を媒介するハマダラカ(羽斑蚊)の活動が活発になったためです。

マラリアは免疫がほとんどできないため、同一の個人になんども発病させ死亡させることも多く、人口に大きく影響します。このことは、アフリカ、地中海沿岸、熱帯アジアなどのマラリア感染域で、鎌状赤血球遺伝子サラセミアなどの異常ヘモグロビンの遺伝子頻度が高まったことにあらわれています。

異常ヘモグロビン遺伝子を両親からもらい受けた子どもは胎児期にほとんど死亡するものの、この遺伝子を片方の親だけからもらい受けた子どもは、マラリアに感染しても軽い溶血性貧血を起こすくらいで、その際にマラリア原虫の生活環が断ち切られるため発症しにくいのです。

天然痘の流行

1980年に世界保健機関(WHO)が根絶宣言を出した天然痘は、感染症の中でも、広域で流行し致死率も約40%と高く、古代文明が栄えた時代から最も恐れられた感染症の一つです。

 天然痘の起源地がインドかアフリカか議論がつづいていますが、古代ギリシャ・ローマの時代から多くの記録が残されています。

多くの感染症は、古くから特定の地域に蔓延し、その地域の住民の多くが免疫を獲得しています。そのような地域に外部から人びとが移住するか、そのような地域から病原体が外部に運び出されると、免疫をもたない人びとが感染し重篤な症状に陥ります。

紀元164年にローマ軍がパルティア王国への遠征にともなう天然痘の流行は、感染症が高死亡率をもたらす典型的なパターンを示しています。このローマ帝国における天然痘の流行で、500万人もの人びとが死亡したのです。 後に広域を結ぶ遠洋航海などが盛んになると、感染症は遠い地域へ短時間に伝播されるため、はるかに多くの人命を奪うことになるのです。

交易圏の拡大と人口の増減

世界人口は、1000年〜1400年の中世後期に東南ユーラシアとヨーロッパの人口増加率が農耕の生産性向上などにより飛躍的に上昇した一方で、この両地域は急激な人口減少も経験しました。

人口減少の原因は異なりますが、この両地域がコア・ユーラシアの東と西に位置し、シルクロードなどの利用する交易の恩恵を受けていたことに関係していたと考えられます。

中国の人口減少を引き起こした直接的な原因はモンゴル高原を故地とする遊牧民であるモンゴル人が勢力を拡大させ戦闘をつづけながらモンゴル帝国を築いたことです。

ヨーロッパにおける人口減少は黒死病とよばれるペストの流行で引き起こされました。ペストの流行は、1347年に中東とイタリアのシチリア島ではじまりヨーロッパに広がりました。14世紀中に少なくても3回の大流行でヨーロッパ人口の約1/3が死亡したのです。

ペストの起源についての調査は、世界中で広くみられる17株のペスト菌のDNAと、ヨーロッパ各地の墓地に埋葬されていたペスト患者の骨から抽出したDNAを分析した結果、ペスト菌は2600年以上前に中国南部に出現し、2000年も経過した14世紀にシルクロード経由で中東・ヨーロッパにもたらされと結論づけられました。

メソアメリカ文明を受け継いだアステカ王国と、アンデス文明を受け継いだインカ帝国は、それぞれ1521年と1533年にスペインの少数軍団に滅ぼされました。アステカ王国インカ帝国の滅亡の原因は、戦闘そのものに加え、スペイン人が持ち込んだ感染症が猛威をふるったためと考えられています。

アメリカ大陸では家畜飼育がほとんどなされていなかった16世紀〜17世紀に動物由来の感染症である天然痘チフスインフルエンザジフテリア麻疹の流行により、再生産年齢にあった女性や子どもの死亡率が高まり長期にわたる人口減少を引き起こしたのです。

アステカ王国インカ帝国をヨーロッパ人が「認識」した15世紀末の推定人口は、研究者によって大きく異なりますが、文明の遺跡発掘などから、アステカ王国インカ帝国も最盛期には1000万程度の人口をもっていたと推測されます。

アメリカ先住民の人口については不確実性があるとはいえ、16世紀の100年間にヨーロッパ人が持ち込んだ感染症などによりアメリカ大陸全域の人口が半分以下に減少したのはまちがいなさそうです。

死亡率低下の原因

18世紀、ヨーロッパの国々で死亡率と出生率を劇的に変化させた人口転換がはじまりました。死亡率低下の開始は産業革命の開始とほっぼ同じ1750年ころからはじまり、農業生産性の向上による食物供給量の増大が大きな役割を果たしたのはまちがいありません。食物摂取が安定し人びとの栄養状態が向上したことが、当時の死因の多くを占めていた感染症の罹患の減少と重篤化の防止をもたらしたのです。

産業革命は社会の多くの側面の変革をともなったのも特徴で、人びとの考え方や日常生活の変化が死亡率の低下にかかわったはずです。影響が大きかったものに、石鹸の使用、建物の窓ガラスの使用(冬季日光)、綿製品の普及により衣類の洗濯の頻度が高まったことなどがあげられます。これら衛生状態の改善をとおして死亡率の低下に寄与したのです。

産業革命が人びとの健康に良い影響だけをもたらしたわけではありません。産業革命と都市化の進行により新たな死亡も増えました。深刻だったのは、人口が集中した都市の劣悪な環境、とくにし尿が処理されずに放置されたことです。その最大の影響は、コレラの蔓延にみられます。

コレラは、患者の糞便や嘔吐物に汚染された水や食物を経由して感染します。インドの地方病(風土病)だったコレラが、世界規模の交易の進展とともに19世紀にヨーロッパに伝わり、都市部を中心に流行を繰り返しました。1856〜58年には、フランスで14万人以上、イタリアで2万4000人、イギリスで2万人の死亡が記録されています。

コレラは1826年にヨーロッパを経由でアメリカ大陸にも伝播し、その後、パンデミック(世界的大流行)をなんども引き起こしました。

ヨーロッパにおけるコレラの被害は、19世紀後半における下水道の敷設、1883年のロベルト・コッホによるコレラ菌発見の受け、19世紀中に下火になりました。ただし、インドをはじめとするアジアの国々では20世紀にはいっても多くの死者が出ています。

近代医学が人口転換中の死亡率の低下に最も貢献したのは、エドワード・ジェンナーが1798年に天然痘ワクチンの種痘法天然痘の予防接種)を開発したことでしょう。ヨーロッパでは19世紀に種痘が普及し、天然痘罹患率が急速に低下しました。

種痘以外の結核(BCG)破傷風黄熱病などのワクチンがつくられたのは、人口転換が終了に近づいた1920年代以降です。ワクチン接種を含む近代医療と公衆衛生による死亡率の低下への貢献は、20世紀ににおける途上国で驚異的な成果をあげました。

地球に生きるすべての人は、ホモ・サピエンスという生物種のメンバーです。地球という生存の場を存分に利用し、誕生してからわずか20万年ほどの間に、その数を爆発的に増やしてきました。世界人口は2011年に70億に達し、途上国を中心に人口増加がつづき、2025年には世界人口80億、2060年には100億を超えると予測されています。

地球は何人の人間を支えられるか

今から265年ほど前、イギリスで産業革命がはじまった1750年ころの世界人口は7.2億くらい。西暦元年ころの世界人口は2〜3億で、農耕が開始された1万年ほど前は1000万にも及ばなかった。アフリカで誕生し、世代交代をしながら人口は今よりもはるかに緩やかに増加をつづけ最後の0.1%ほどのごく短時間に急増しているのです。

地球の人口支持力(環境収容力)、地球上における食糧あるいは食物エネルギーの最大可能収量を推測し、研究者が人口支持力を算定している。問題は、算定された人口支持力が40億人から160億人までと大きく異なることで、その理由は、ヒトがどのように生きるかに関わることと技術革新によって食糧生産性の予測にバラツキがあるからである。

問題は、自然界の生物生産力を低下させていること、ヒトの歴史とは比べられない長い時間をかけて形成された地球システムを損なわせることで、生存のリスクを高めている。

地球の環境容量、自然環境を「踏みつけ」ても再生する量のバランスを保つこと。まずは人口増加を抑えることが先決で、ホモ・サピエンス「賢いヒト」の課題の克服は、地球環境と調和する生き方を見出せるかにかかっている。