好きなことをやりなさい

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自分の好きなことをやるにしても、やはり、なまけていてはダメで、やるからには、なんでも、ねばり強く、努力することが必要であろう。

水木しげる(Shigeru Mizuki
著書:ほんまにオレはアホやろか
発行:1978年9月

ぼくは小さなころから、妖怪っていうのは、本当にいるのではないかと、両親や先生に質問し、そのおろかさを笑われたことがあった。

ぼくはその妖怪で、いまはめしを食っているわけだ・・・・。

学校はイロイロな常識を教えてくれて便利だ。これを否定するわけではないが、自分が興味をもったことというのは、くだらんものでも価値があるものだ。

ぼくの娘は、あまり勉強せずに、アニメーションなんかにこっている。妻はくだらんことに興味をもって勉強を一つもしないからしかってくれという。

ぼくもくだらんといわれたことで、めしを食っている。

自分でおどろいたことを発見したら、ソレをやるのもわるいことではない。

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ほんまにオレはアホやろか

「わが道をゆく」という言葉があるが、考えてみりゃあ、落第したってくよくよすることはない。わが道を熱心に進めばいつかは、神様が花をもたせてくれる。神様が花をもたせてくれなくても、それはそれなり、クヨクヨする必要はない。

虫の中にはいろいろな種類があるように、われわれ人間にも、いろいろな種類があるのだ。トンボにカマキリになれとか、南京虫にみみずになれと、いわれても困る。

人間は、それぞれ違うのだから、それぞれ変わった生き方をしたっていい。

子どもの頃から、一律に学校という、奇妙なものの中に入れられて、成績がどうのこうの、点数がどうのこうのといわれ、そんな、しょうもないことに、胸をドキドキさせられるんではたまったものではない。

もっとも、点数レースの得意な人間には、面白いかもしれないが、そんなことに、あまり得意でない人間にとっては、それこそ、「ほんまにオレはアホやろか」ということになる。

気の弱い人間は、いい点数をとれないとなると、すぐ、「オレはもうだめだ」という気になってしまいがちだ。だが、そんなことはない。この大地はもっと自由だ。いろいろな形で生きていける。学校を出てサラリーマンになって、一生の先の先がみえるといったような生活は、ぼくなんか、苦手だ。そんなの、面白くない。

ぼくは日本の生活をやめて、南の島で一介の土人として、人生を二度生きてみよう、と考えていたが、妻をむかえたり、子どもができたりすると、どうも計画がにぶる。家内や娘が「天国」でくらすことをいやがるのだ。二、三年説得してるが、ダメだ。いよいよ、「一人でゆくことになるのかなァ」とも、思っているが、「一人ゆく」となると、ナカナカ決心がつかないものだ。

そんなことは、ともかくとして、自分の好きなことをやるにしても、やはり、なまけていてはダメで、やるからには、なんでも、ねばり強く、努力することが必要であろう。

自然界では、どんな虫でもけだものでも、自分のエサをさがして食べるのだ。

てきとうな例がないので、ぼくのことを書けば、ぼくは、子どもの時、あばあさんから妖怪の話をきいて、おどろいた。

「妖怪ってなんだろう」

ぼくはいつも、頭の中に、それがあったから、機会があると、お化け(妖怪)のことを考えたり調べたりしていた。

少年時代に、お化けの絵をかいていると、「お前いつまで。そんなバカなことやってるんだ」と、両親にしかられたものだ。

また青春時代にも、お化けのことを、まじめに調べたりすると、「こいつ、バカじゃなかろうか」と、いわれたものだ。

しかし、バカなことでも、長い間やっていると、それに関連した、いろいろなこと、たとえば神様だとか、地獄の世界といったことにも、興味がおよび、知らない間に、それを調べることが生きがいみたいになったり、また、天が助けてくれるとでもいうのだろうか、今では、お化けだけで、めしが食えるという、ありがたいことになったわけだが、人間、つまらんことでも骨をおっていれば、やはり、天の報いみたいなことが、あるような気がする。 

水木しげる(1978年夏)