ヒトにのこる進化の足跡

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比較解剖学では脊椎動物の進化の分岐点にいる動物、つまりヒトの直系の祖先に近い種類ととくに重視する。しかし傍系のものも直系を理解するうえで欠かせない。とりわけ哺乳類は霊長類以外のものでもヒトを理解するうえで重要である。「クジラ山に登らなければ、ヒト山は見えない」とはこのことをさしている。

体内の進化の痕跡としに長い歴史的背景を知ることで、ヒトの肉体もまた永遠の命の運び手の一部であることを知る。

参考文献:「退化」の進化学
著者:大塚則久

「退化」の進化学

人類の起源をどんどんさかのぼると、霊長類、哺乳類、脊椎動物の共通祖先へ、そして無脊椎動物から単細胞生物、ついには原核生物にたどりつく。つまり私たちヒトの体は生命が誕生した38億年前から連綿とつづく命の環の一つであり、そこには過去から進化してきた痕跡が確かに残っている。

血を舐めれば塩っぱいが、これはかつて海で生命が誕生したなごりである。体が左右対象なのは脊椎動物に共通の特徴で、かつて尻尾で水中を泳いでいた証拠にほかならない。首の下から腕がのび、股の間に肛門が開くのも、魚の胸ビレと腹ビレから四股ができたことを示している。

こうした体のつくりの進化にともなって、器官の中には消えていくものもあれば、形を変えて他の機能をもつものも現れた。発生や進化の過程で退行的進化をとげて形や機能が縮小したものを「退化器官」、機能しなくなったがかろうじて残っているものを「痕跡器官」という。たとえば、男の乳首は痕跡器官であり、親知らずや足の小指などは退化器官である。

「進化」と「退化」

生物学用語の進化(evolution)というのは、ある種から新たな別の種が生まれることである。別種なので体の大きさや形に違いがあり、元の種より体が大きくなることもあれば小さくなることもある。また、「進化」の逆が「退化」と誤解されている。

退化(degeneration/reduction)というのは、器官が小さくなったり、数が減ったり、形が単純化したりすることだが、決して進化の逆ではない。むしろ進化にともなっておこるので、退化は進化の一部だといってもよい。

人体の退化器官をほかの動物のものと比較することで、その退化がはじまった時期がどのくらい前のことなのか、およその見当がつく。たとえば虫垂は盲腸が退化したなごりとされる。軟らかい組織はふつう化石にはならないが、ヒトの先祖筋にあたる現生の動物でその有無を調べることで共通祖先からの派生時期からそれがわかる。

痕跡器官は、胎生期つまり個体発生の初期段階にみられる特徴とかかわりがある。発生学(胎生学)は、受精卵から誕生まで一人のヒトの形ができてくる過程を記述したものである。この過程を個体発生というが、生まれたあとも成長しつづけ、性成熟に達して老化し、死にいたるまでの生活史すべてをふくめて考えることもできる。

 

脊椎動物の胚発生比較図 

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魚からヒトにいたる各種の脊椎動物の発生初期の胚をならべたもので、反復説を唱えたヘッケルの教科書にのっている図である。動物は左から右に進化したものをならべ、上段が発生初期で下段が後期である。

 

魚でも哺乳類でも動物はすべて単細胞の受精卵から発生するので、発生初期ほど互いに似るのは当たり前であると表面的な観察に基づき成体の反復を否定する幼系相肖説が反復説をくつがえしたとみるのは早計である。

肝心なのは形づくりの規則性である。たとえば形質の発現に順序があって逆転しないことや、進化するにつれて新たな形質が発生後期につけ加わるため、類似の形がしだいに発生初期段階に組みこまれることである。

脊椎湾曲

脊柱湾曲のでき方にもこの反復説があてはまる。ヒトの背骨は、他の動物にはみられない独特の曲がり方をしている。(くび)と腰では前に凸、胸の部分では後ろに凸となるように曲がっている。これらを頚前弯(けいぜんわん)腰前弯(ようぜんわん)胸後弯(きょうこうわん)とよんでいる。

魚類は実に多様化しているが、頭蓋(ずがい)の後ろから尾ビレのつけ根まで、脊柱は一直線上かやや上に一様に凸なっている。上陸したての両生類では頭が地についているが、爬虫類に近くにつれて胴体よりも一段上に頭が位置するのは、頚前弯ができたことを意味する。

脊柱湾曲の胸後弯と頚前弯は、爬虫類から哺乳類、霊長類のうちの類人猿まで引きつがれる。腰前弯ができるのは脊柱を直立させるだけでなく、二足歩行をはじめてからできる人類固有の特徴である。

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ヒトが生まれたときの脊柱は一様に後ろに凸弯している。これは成長後も胸後弯などに受けつながれる。生後3ヶ月から半年、首がすわっておすわりができるようになるころに頚前弯がきでる。1歳から1歳半ごろに立って歩きはじめると、腰前弯ができてヒトらしい独特のS字型となる。

すなわち3億年前の爬虫類での頚前弯と700万年ほど前の人類での腰前弯の獲得がたかが数ヶ月から1歳半の乳児の間に再現されていることがわかる。

耳小骨と耳の穴 

私たちの耳の中には体中で一番小さな長さ数mmの骨がある。ツチ骨キヌタ骨アブミ骨の3つからなる耳小骨(じしょうこつ)で、それぞれ槌、砧、鎧の形に似ることに由来する。鼓膜の振動は、これら耳小骨を介して内耳の蝸牛(かぎゆう)に伝えられ、音として感じることができる。

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哺乳類の耳小骨は3つだが、両生類と爬虫類では、アブミ骨にあたる耳小柱(じしょうちゅう)の1つしかない。両生類と爬虫類のツチ骨とキヌタ骨の2つの骨は顎の関節を構成している。この2骨は、さらにさかのぼると軟骨魚類(サメ)時代には顎そのものであった骨である。上顎の方形骨(ほうけいこつ)はキヌタ骨に、下顎の関節骨はツチ骨になった。軟骨魚類の祖先で無顎類であったときには、エラ穴(䚡孔/さいこう)を支える軟骨で複数ある鰓弓(さいきゅう)の前方の一対であった。

いまでは音のとりいれ口となっている耳の穴は、かつて新鮮な水をとりこむ呼吸孔であり、その前は実際にエラ呼吸する1番前のエラ穴でだった。気圧の変化によって耳がこもったような感じになるときツバをひと飲みすると治る。これは外耳道の気圧が高くなっても鼓室では気圧がまだ低いままだからであり、喉と鼓室を繋ぐ耳管(じかん)が広がって鼓膜の内外の気圧が等しくなることで改善されるからである。

5億年前の無顎類の鰓弓という呼吸器官の一部は、やがて上下顎という捕食器となり、ついには哺乳類で耳小骨という聴覚器に変身したことになる。かつては新鮮な水をとりこむ呼吸孔であり、その前はエラ呼吸をするエラ穴が鼓室と喉をつなぐ耳管になり、気圧調節に不可欠な役割を果たしている。これらは不要になったものを材料にして新たな機能をそなえていくという形態進化の好例である。

心臓のなごり 

心臓は血液を循環させるポンプである。ポンプの容量が変わり、逆流を防ぐ弁のついた容器である。基本形は出入り口に弁のついたゴム製の球になり、魚類の心臓はこの基本形に近く、一心房一心室である。実際は心房の手前に静脈洞があり、体からもどる複数の静脈がそこにそそぐ。また心室の先は筋肉性で、中には多くの弁がある。各出口に弁のついた先細りの四連球構造をしている。この四つの部屋が、順にリズムカルに収縮することで血液を送り出す。

哺乳類の心臓は二心房二心室である。複雑にみえるが、心房にもどってきた血液が心室から出ていくという基本は同じで二組のポンプが左右に並んでいるだけである。心室を出て大動脈から全身をまわり、大静脈から右心室にもどるのが体循環、右心室から肺動脈をへて肺にいき、肺静脈から左心房にもどるのが肺循環である。

体循環にしろ肺循環にしろ、心室は収縮して動脈に血液を送り出す部屋なので筋質で壁が厚。いっぽう、心房は静脈から戻ってきた血液のたまり場で、心室に比べて壁が薄くなめらかである。

心室は大動脈に繋がっていて全身に血液を送り出すので血圧が高い。これに対して右心室は肺動脈につながって肺にいくので、血圧が高いと肺から血がふきだしてしまう。このため左心室の壁は右心室の何倍も厚く、断面は円形となるが、右心室は左心室の表面にへばりつくように三日月型をしている。

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心臓の部屋数は、魚類で一心房一心室、両生類から二心房一心室、ワニや鳥、哺乳類で二心房二心室と増えてきた。この進化は部屋を建てまししたのではなく、もとの部屋に間仕切りをしただけである。

両生類となって新たに肺循環ができたことにより、肺からもどってきた肺静脈がまず静脈洞に脇からそそいで、間仕切りができる。やがてそこが肥大して新たな心房となる。一方で肺にいく動脈が大動脈と別系統であることから太い血管の真ん中に螺旋ヒダという仕切りができ、やがて爬虫類ではその仕切りが心室におよんで心室中隔となる。

心臓は奇形の多い臓器でもある。これは魚類から四足動物へという脊椎動物進化の過程で、水生から陸生生活へと移行したことに伴ってエラ呼吸から肺呼吸に大転換し、体循環に肺循環がつけ加わったことによる影響が大きい。

ヒトにみられるいくつかの心臓奇形というのは単なる「奇妙な形」ではなく、私たちの体がたどってきた5億年の進化の証人であり先祖返りでもある。

 

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子宮の中で羊水に浮かんでいる胎児では肺はしぼんだままである。酸素は母体の胎盤から供給される。胎児の血管はヘソを介して胎盤につながっている。胎盤からヘソを通し胎児にもどる臍静脈(さいじょうみゃく)の酸素に富む血液は右心房に流れ込む。

大人では、右心房にもどった静脈血は右心室から肺動脈をへて肺へむかう。胎児場合、肺はまだ機能していないため血液は、右心房から卵円孔(らんえんこう)をとおって左心房に移り、左心室から大動脈をへて全身にいく。

右心房と左心房の心室中隔に開いている直径10mmの卵型の窓である卵円孔は、胎児心臓の特徴であり、魚類時代のエラ呼吸のなごりでもある。右心房から卵円孔をとおって左心房へ流れなかった血液は右心室から肺動脈へて肺へはいかず、動脈管という近道をとおって、直に大動脈にいく。

オギャーと産声を上げると同時に肺は一気に膨らんで肺循環がはじまる。まもなく臍動脈は血流が止まってしぼみ、ヘソの緒がはずれる。血が流れなくなった臍静脈はヘソの裏側から肝臓のあいだを縦にはしる痕跡となる。静脈管、動脈管、臍動脈も同じように痕跡となり、卵円孔も生後一週間ほどで薄い膜によって仕切られる。これら五ヶ所の胎児循環の特徴はすべて痕跡器官である。 

胎児循環の特徴である卵円孔が閉じなかったり、動脈管が開きっぱなしだったりすると、二酸化炭素に富む静脈血が動脈血に混じってしまうので、活発な運動ができなかったり、十分な成長ができなかったりする原因になる。

腓骨

「手足」と称している四足動物の体肢(たいし)は、肺魚シーラカンスのような肉鰭類(にくきるい)の胸ビレと腹ビレから進化してきた器官である。これら肉鰭類である魚類のヒレが他の魚類である条鰭類(じょうきるい)のひれと違うのは、ヒレのつけ根に中心となる骨があるかどうかである。

肉鰭類のヒレは、つけ根の一本から分岐や分節をくり返してならんでいる。四肢動物(ししどうぶつ/陸上脊椎動物は、このグループから進化し上陸して両生類となり、ヒレが脚に変わって陸上を歩くうちに、つけに近い二節が伸びた。

二の腕には上腕骨(じょうわんこつ)、太腿には大腿骨(だいたいこつ)という骨が一本、肘から手首の前腕には橈骨(とうこつ)尺骨(しゃっこつ)、膝から足首の下腿(かたい)には脛骨(けいこつ)腓骨(ひこつ)という骨二本がそなわることになった。

両生類の姿勢は、前後肢とも肘(ひじ)や 膝を脇にはりだす側方型である。この姿勢で体をくねらせながら歩く、前後の脚は基本的に同じ動き方をするので形もそっくりである。この段階までは下腿の脛骨と腓骨の長さも太さもあまり違いがない。

哺乳類になると、脚が胴の下にのびる下方型へと全身の姿勢が変わることで、前肢と後肢の形にも違いができる。最大のポイントは、肘が後ろに回り、膝が前に回ったことである。側方型から下方型への変化でもっとも有力なのは、手足の接地点を重心に近づけるためという説である。前後の足の接地点が狭まり、体全体として不安定になる分、運動性が増すように進化したとわかるからである。

腓骨の「腓」は訓読みで「こむら」と読み、膝と足首のあいだの脛(すね)の後方(ふくろはぎ)をさす。この部位の骨は横並びに脛骨と腓骨の二本からなり、足首の内くるぶしは脛骨、外くるぶしは腓骨からできている。ただし膝関節で大腿骨とつながっているのは脛骨だけで、体重の90%を脛骨が支えている。腓骨は脛骨に比べはるかに細く、太さ2cmにも満たない。

骨の断面が円形に近いほど強度が増すので、互いにうごく必要のない骨は消えて一本化していく。走る機能だけの足であるウマやシカの指が1本や2本になったのはこのためであり、膝関節(しつかんせつ)から外れて体重のかからなくなった腓骨は退化する一方、脛骨はますます太くなる。腓骨の退化や癒合程度、脛骨とのあいだで可動かどうかをみることで、その動物の運動様式までがうかがえる。

副乳 

哺乳類とは子に乳をふくませる動物だから、その乳を分泌する乳腺はもっとも重要な特徴である。卵を産む単孔類にも乳腺はあるが乳頭がない。乳頭ができるのは有袋類からで、子どもは袋の中で乳首に吸いついたまま育つ。

乳房(にゅうぼう)というのは実はヒトにしかみられない特徴である。ウシやヤギの巨大な「乳房」は家畜化による人工産物で、中は空洞で文字通りミルクタンクにすぎない。乳器は、乳腺、乳頭、乳房の順に進化してきた。

乳腺はほかの皮膚腺と同じように表皮の変化したものである。まず胎生2ヶ月初めに腋の下から股のつけ根にかけて皮膚の高まりできる。この線状の高まりを乳線という。ついで間の線が消え数珠状となり、乳腺のできる位置が決まる。この「数珠」が真皮(しんぴ)にもぐりこんで細胞の塊となり、さらに発生が進めば最終的に乳腺となる。

乳頭は乳児の近づきやすいところにできる。樹上性や飛行性の動物は、腕で赤ん坊をだくのに便利な胸に乳頭がある。ヒトの乳頭が胸にあるのも樹上性の祖先から受け継いだことになる。

乳頭の数は一腹の子の数に対応しているので、一産一子種では少なく、多産の種では多くなる。多産であるネズミには24個も乳首があるものもいる。胎盤類の乳頭は左右対称にできるので偶数だが有袋類の中には正中にもできるものがいる。

多くの哺乳類の胎児で四対の乳器の痕跡が認められる時期がある。ヒトでは胎生六週間齢の15mm胚で五対の乳腺原基が観測される。これらの消え残ったものが副乳である。

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副乳は男女でまったく同じ頻度でおこるという人もいれば、女性のほうが男性よりもやや多いという人もいる。日本人男性で1.5%、女性では約5%というデータもあれば、日本人で10%前後というデータもある。数値が定まらない理由は、小さなものをホクロと見分けにくいためである。乳頭だけの副乳はホクロとまぎらわしい。

多くの副乳は腋の下から股のつけ根の線状にならぶ。必ずしも左右対称にできるとはかぎらず、胸の谷間の正中や首、肩、背中、尻、太腿の上にできた記録もある。

皮膚を動かす体幹皮筋 

骨格筋は骨から骨に走り、骨のあいだの間隔や角度を変えることで姿勢の変化や運動をするのに働く。これに対して皮筋(ひきん)は 一端または両端が皮膚につくので、体を動かさずに皮膚だけを動かすことができる。

私たちは顔の皮膚の動きによってさまざまな表情をつくれる。頭の骨から顔面の皮膚のいたるところにたくさんの細かい顔面筋がはしっているからである。このためヒトの顔面筋のことを表情筋ともいう。

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ヒトの皮筋はその由来から2つのグループに分けられる。1つは鰓弓筋(さいきゅうきん)由来でヒトの表情筋や広頚筋(こうけいきん)である。広頚筋とはイーッと口角をさげると収縮し、胸の皮を引き上げる皮筋である。もう一つが広背筋胸筋群に由来する体幹皮筋(たいかんひきん)である。

ヒトを含め類人猿の体幹皮筋はほぼ退化して、皮筋は頚の広頚筋と頭の表情筋に限られる。それは腕が極めて自由になって、体のどこにでも手が届くようになったからである。

盲腸と虫垂

小腸はひとまわり太い大腸にほぼ直角にまじわる。体を正面からみると小腸から大腸にまじわったところから右方向に進むと上行結腸(じょうこうけっちょう)だが、左に進むとすぐに突き当たりで、そこを盲腸という。盲腸の先に虫垂がぶら下がっている。

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ほとんどの哺乳類には盲腸があるが、非常に変異が大きい。虫垂は大多数の哺乳類にはなく、マウスやラットといった齧歯類(げっしるい)、ネコ、ジャコウネコ、そして霊長類に限られる。霊長類にはすべて盲腸がみられるが、虫垂があるのは一部だけである。

ヒトの虫垂は胎児でもっともよく発達し、つけ根の太さは盲腸と同じである。しかし、じきに成長を止め、新生児では大人と同じになる。新生児の虫垂は中空だが、5歳ごろから塞がりはじめて、60歳以上では過半数の人で虫垂が退化する。長さも退化に関連し、短くなるほど閉塞が増えるが閉塞に性差はない。

盲腸や虫垂は機能的価値のない退化器官の代表といわれている。虫垂にいたっては無用であるどころか、穿孔腹膜炎(せんこうふくまくえん)という病気をもたらす厄介な痕跡器官として急性虫垂炎にかかると、すぐに手術で切除された。

しかし、これは誤りだった。口から肛門にいたる腸管の中は「体外」なので、腸の壁は身体防衛の最前線にあたり、病原菌や異物の侵入を監視し対処するリンパ組織という免疫機能がいたるところに備わっている、実際虫垂にはリンパ小節が密集している。

盲腸はセルロース分解用の発酵タンクとしての機能は失われて縮小したが、その先のリンパ小節が集まった虫垂は類人猿とヒトに特有の新たな免疫組織で、いまも立派に機能しているのである。

 

人体は進化の産物であり、同時に退化遺物の塊でもあることに改めて気づかされる。骨や筋、歯や内臓、心臓や血管、神経や感覚器、あらゆる器官が新旧さまざまな時代に生まれ、消え、形や機能を変えていった様子がモザイクのように組み込まれている。

同時代に生きる現代人とはいっても、原始型を多く保っている人もいれば、進化の先をいっている人もいる。全体としてみるとかなり前の過去から少し未来への時間の幅をもって退化し進化しているといえる。体の隅々まで調べればそれこそ種々雑多の変異の組み合わせがあり、同じ組み合わせの人は二人としていないに違いない。