なぜ眠るのか
眠りにまさる「癒し」はこの世に存在しない。睡眠はどんなに無理をしてでも、どんなに危険を冒してでも進化の過程で省くことのできなかった非常に重要な機能であり、脳の機能を支えるために必須の機能なのである。
脳を成長させ、有効に使うために鍵となるのは、日々のたゆまぬ努力と、よい睡眠である。ヒトはその高度な精神活動と創造力によって文明を築き上げ、数々の芸術を遺し、科学を発展させてきた。鍛錬によって驚くべき技を身につけることもできる。これらを可能にしているのは、成長する脳の機能である。睡眠のもつ機能、睡眠の重要性を理解していただきたい。
引用:睡眠の科学
著者:櫻井 武 ( 筑波大学教授、医学博士 )
ヒトはなぜ眠るのか
このきわめて単純な問いに、現在の脳科学や神経科学は、いまだ明確な解答を出すことができないでいる。このシンプルかつ根源的な疑問に対して、唯一確実なのは「眠気を追い払うため」という答えのみなのである。
睡眠をとっている間に脳の中で生物学的・神経科学的に、どのような変化が起こっているかは、いまだ謎に包まれているが、睡眠をとることによって低下していた作業効率が回復する。こうしたことを私たちは毎日実感している。
多くの人は睡眠を受動的な休息と捉え、休まないことによって調子が悪くなると考えていると思う。もしそれが本当なら、目を閉じ安静にしていれば、睡眠と同じ効果が得られるはずである。しかし、実際にはそうはならない。
眠りが浅かったり、睡眠時間が十分にとれなかったりすれば、健康な眠りと同じ効果は期待できない。なぜなら睡眠中は心身が覚醒状態とはまったく異なる生理的状態にあり、それが健康を維持するために非常に重要なのである。
睡眠には身体を休息させるのみではなく、脳の休息、さらには能動的に脳の整備と修復をおこなう役割があると考えられている。 「睡眠」は、脳の機能を支えるために必須の機能なのである。
睡眠とは何か?
睡眠の定義とは「外部の刺激に対する反応性が低下した状態であり、容易に回復するもの」である。また運動系に関しては、目的をもった行動がなくなる。睡眠時の特徴としては、閉眼し、その動物種特有の姿勢をとることが多い。
睡眠は、高等脊椎動物では普遍的にみられる現象である。定義を拡大すれば哺乳類と鳥類だけでなく、爬虫類やその他の下等動物にも休眠状態とよばれる睡眠と言ってよい状態が認められる。
野生の厳しい環境を考えてみてほしい。睡眠中、動物は外敵に対してまったくの無防備になり、しかも活動もできないのである。また水中のような特殊な環境で暮らすイルカや、長時間を飛行する渡り鳥でさえも、睡眠を進化させるという方法はとったが、眠ることを省くには至らなかった。
睡眠は、どんなに無理をしてでも、どんなに危険を冒してでも進化の過程で省くことのできなかった非常に重要な機能であることが、このことからだけでもわかる。
眠らないとどうなるか?
結論から述べてしまうと、完全に睡眠をとらない状態が続くと最終的に動物は、疲労状態からくる感染症やそれにともなう多臓器不全で死亡する。
動物の睡眠を取り除く「断眠実験」で、睡眠を取らないと動物は運動性が低下し、体温調節のメカニズムに変調がみられた。これらの機能は主に脳の視床下部(ししょうかぶ)という部分がはたしている機能であり、断眠は、視床下部の恒常性維持機構に悪影響を与える。
恒常性(ホメオスタシス)とは、状態を一定に保つという意味がある。
恒温動物の体温は気温が変わってもほぼ一定に保たれ、血圧や血液中のさまざまな物質の濃度なども一定の範囲に保たれている。このように生体のさまざまな機能は、内外の環境が変わっても変動が一定の範囲内に保たれている。視床下部は、生体をその環境において最適な常態にコントロールする中枢である。同時に情動(感情)や本能行動にも関わっており、睡眠と覚醒のコントロールにおいても重要な働きをしている。睡眠は視床下部によってコントロールされているが、逆に視床下部の機能にとっても睡眠は不可欠なものなのである。
断眠実験のラットは、断眠後3〜4週間で体内に住み着いている本来は病原性をもたない微生物(常在細菌)による感染症を起こす。常在細菌による感染症(日和見感染)の原因は、免疫機能が失調をきたしたからだと考えられる。睡眠を断つことは免疫系の機能にも重篤な影響を与えるのである。
ひどい断眠をした動物の身体機能は、睡眠をとらなければ決して回復しないが、死に至る前に睡眠をとらせれば完全に回復する。睡眠は絶対にとらなくてはならないものであるが、脳や身体はある程度、睡眠欠乏に耐える許容度や柔軟性をもっていることがわかる。
ヒトが睡眠をとらないとどうなるか
ヒトの不眠記録は、1964年ランディ・ガードナー(当時17歳)が樹立した264時間(11日間)である。著名な睡眠研究者であるウィリアム・デメント博士により、詳細に観察・記録されたランディの断眠は、現在でも睡眠研究のうえで重要なデータとなっている。
彼は1964年12月28日の午前6時に目覚め、断眠を開始。断眠後2日目になると怒りっぽくなり、体調不良を訴え、記憶に障害がみられるようになった。集中力がなくなり、テレビを見ることも困難になった。4日目には妄想をきたすようになり、ひどい疲労感を訴えた。7日目には彼は震えを呈し、言語障害が認められた。11日間の断眠後、眠りにつくと、連続して15時間眠った。その後、23時間覚醒し、10時間半眠った。1週間後には基の生活リズムを取り戻し、後遺症をきたすこともなく完全に回復した。
1959年に9日間にわたり、不眠でラジオ放送を行ったピーター・トリップでは、3日目になると妄想や幻覚をきたすようになり、意味不明なことを話すようになっていった。放送が終わりに近づくにつれて妄想や幻覚は顕著になり、ある種の精神疾患のような状態であった。長期の断眠は、精神機能に変調をきたすのだ。
極度の睡眠不足におちいったヒトには、非常に短い睡眠、 ほんの数秒間、あるいはもっと短い一瞬の間だけ眠りにおちいるマイクロスリープが現れる。長期の断眠をしたランディ・ガードナーやピーター・トリップの脳に障害が残らなかったのは、このマイクロスリープがかろうじて脳の機能を維持したからとも考えられる。
睡眠の効果
試験前の勉強で、「寝ると忘れてしまうから寝ない」という人がいる。これは明らかに間違いである。 睡眠は記憶の強化・固定化に関わっている。
睡眠と記憶の関係については、いろいろな実験が行われている。「起きて」過ごすか、「眠って」過ごすかによって、記憶の保持にどのような影響があるかのテストでは、睡眠をしていたほうが、覚醒していたより記憶の忘却がはるかに少なかった。睡眠中に記憶が保持されるだけでなく「強化される」ことが近年示されている。睡眠によって向上されるのは、新しく覚えた比較的最近のものであり、古い記憶が向上することはない。
頭で考えなくても繰り返していくうちに上達する技巧や運動技能などの「手続き記憶」のテストでも、睡眠をとると、その間は練習していないにもかかわらず、明らかな上達がみられた。睡眠により積極的に運動技能が向上したと考えられる。
睡眠について
睡眠の様子を外から観察しただけでは、 動物やヒトが眠っているのかどうかの判断がつかないことがある。睡眠を生理学的に観察できるようになったのは、脳波(のうは)が使われるようになった1930年代以降からである。
現在、睡眠を客観的に観察するにはポリソムノグラフィーという装置が使われる。この装置は、脳波、筋電図、眼球電図、心電図など生理学的な指標を同時に記録するものであるが、睡眠を観察するもっとも重要な指標は脳波になる。
脳波とは、ヒトや動物の脳から生じる電気活動を頭皮に貼付した電極で記録した脳電図である。1924年にドイツの精神科医ハンス・ベルガーが、筋肉の活動電位を記録する筋電図用の電極で脳の電気活動を測れることに気がつき脳波図(Electroencephalogram:EEG)と名付けた。脳波図は一般的に「脳波」と簡略化して呼ばれることが多い。
単一のニューロン(神経細胞)から発生する電位はきわめて小さいうえに電極から数センチほど距離があるので脳波は、大脳の表面に集まっている数千から数万のニューロンによる電気活動(シナプス後電流)の集合体である。
脳波として記録される信号の強さは、電極近くにあるニューロンの活動がどれだけ同期しているかによる。ニューロンの活動がばらばらな場合は、発生する電位が互いに打ち消しあい、結果として脳波図で記録される振動は小さくなる。
ヒトの脳波をはじめて記録したベルガーは、覚醒時と睡眠時で脳波が明確に異なることにも気がついた。 覚醒時には速いが振幅の小さな波が記録され、睡眠時には振幅が大きいくゆっくりとした波が記録されたのである。現在でも睡眠を観察するもっとも重要な生理学的指標は脳波である。
睡眠の種類
私たちが「睡眠」と一口にいうときは、レム睡眠(REM)とノンレム睡眠(non-REM)というまったく違う状態をひとくくりにしている。脳の機能的状態は、覚醒・レム睡眠・ノンレム睡眠の3つがあり、睡眠は大きくレム睡眠とノンレム睡眠に分けられる。
1953年にアメリカのユージン・アセリンスキーが、睡眠中に眼球が急速かつ不規則に動くことに気がつき、急速眼球運動(Rapid Eye Movement)をともなう睡眠という意味で、レム睡眠(REM sleep)と名づけた。また急速眼球運動を伴わない睡眠はノンレム睡眠(Non-REM sleep)と呼ばれる。
アセリンスキーは、急速眼球運動をともなう睡眠時に心拍数や呼吸数の変化も伴っていることを見いだした。そして、この現象は睡眠中に脳が規則的に強く活動していることに由来していると気がついたのである。
レム睡眠の特徴
レム睡眠時の脳は、難しい問題を解くなどの知的な活動している覚醒時よりも活発に活動をしている。脳波は覚醒時と非常によく似た低振幅の速波が記録される。
レム睡眠時の身体の特徴は、脳幹から脊髄にむけて運動ニューロンを麻痺させる信号が送られているため、全身の骨格筋は眼筋や耳小骨の筋肉、呼吸筋などをのぞいて麻痺している。そのためレム睡眠時に夢を見ても、夢の中での行動が実際の行動に反映されないのである。ただ眼球だけは、不規則にさまざまな方向に動いている。体温調節機能はほぼ機能を停止する。自律神経系の働きとしては、交換神経と副交換神経の両方ともが活性化される。そのため心拍数、呼吸数が増えるとともに陰茎の勃起が起こる。
ノンレム睡眠の特徴
ノンレム睡眠は一般的に脳の休息時間だと考えられている。脳のエネルギー消費とニューロン(神経細胞)の活動は一日のうちで最低になる。脳波はゆっくりした大きな振幅の波が記録れさる。
ノンレム睡眠時の身体の特徴は、筋肉の活動が少なくなり、体温が下がり、エネルギー消費も少なくなる。自律神経系の機能では、交感神経の機能が弱まり、副交感神経の機能が活性化される。そのため血圧や心拍は下がり、消化器系の入力処理も覚醒時のようにはいかない。感覚系が完全に遮断されているわけではないので、大きな音がしたり周囲が急に明るくなると目が覚める。
夢について神経科学者は「睡眠中に脳が活動するときに生じるノイズ」と考えている。夢はレム睡眠時と浅いノンレム睡眠時にみることがわかっている。レム睡眠時にみる夢は、奇妙な内容で感情をともなうよなストーリーであることが多いのに対して、ノンレム睡眠時の夢は多くがシンプルな内容である。
睡眠ステージ
1968年にレヒトシャッヘンとカレスにより、睡眠ステージの判定基準がまとめられた。睡眠ステージの判定基準では、脳波の状態によって第1段階から第4段階までに細分化したノンレム睡眠とレム睡眠の5つに区別される。
覚醒しているときには、周波数が高いベータ波(β)が脳全体に相当する領域で観察される。覚醒のまま目を閉じると、後頭葉の近くでやや低いアルファ波(α)が出はじめる。脳がノンレム睡眠に入ると、さらに周波数の低いシータ波(θ)が現れてくる。
ステージ1(non-REM1)
α波が全体の50%以下にまで減少した状態をノンレム睡眠の第1段階と判定する。ステージ2(non-REM2)
紡錘波(spindle)とK複合(K complex)とよばれる特徴的な波が出現するのが第2段階である。ステージ3(non-REM3)
2ヘルツ以下の徐波(デルタ波 / δ)が全体の20%以上かつ50%以下の段階が第3段階である。ステージ4(non-REM4)
低周波であるδ波が50%以上を占める段階を第4段階としている。
睡眠のかたち
ヒトの睡眠は、約75%がノンレム睡眠であり、残りの25%がレム睡眠である。ノンレム睡眠とレム睡眠は、ランダムに現れるのではなく、規則正しく繰り返されている。健康な眠り場合、レム睡眠は必ずノンレム睡眠のあとに現れ、レム睡眠が終わると、またノンレム睡眠に戻る。
就寝後、覚醒状態が10分から30分ほど続き、まず第1段階のノンレム睡眠に入る。その後、ノンレム睡眠は第2段階、第3段階、第4段階と深くなっていき、やがて最初のレム睡眠が現れる。 ノンレム睡眠に入ってからレム睡眠が終わるまでを「睡眠単位」とよび、通常約90分の睡眠単位を4回から5回繰り返すと覚醒する。睡眠が進むほど、深いノンレム睡眠が少なくなり、レム睡眠は増加する。
( 睡眠図 イメージ画像 参照元:https://pn.bmj.com http://naraamt.or.jp File:Stage2sleep.svg )
睡眠と記憶の強化
ヒトの脳の大脳皮質は、厚さ1.5〜4.5mmほどで、しわ(脳溝)をのばして平面にすると2000cm²ほどの面積になる。さらに大脳皮質は6層の構造を持っている。この6層構造を構成するのは、約140億個といわれる膨大な数のニューロン(神経細胞)であり、1つのニューロンが数千から数万個の入力を受けている。
ニューロンが受ける入力とは、シナプスという接着部をつうじて他のニューロンから伝達される刺激である。ニューロンと他のニューロンとの接合部であるシナプスの結びつきの強さによって情報の伝わりやすさが異なる。
シナプスの1つ1つの結びつきの強さ(シナプス効率)はバラバラで、しかも刻々と変化している。新しいシナプスがつくられたり、すでにあったシナプスが消失したりするダイナミックな変化が、脳の記憶や学習と密接に関係してことは間違いない。
ノンレム睡眠と記憶
夢を盛んに見ることからレム睡眠が記憶の整理に関わりがあるとされてきたが、最新の研究によって記憶の強化や整理にはノンレム睡眠が大きく関わっていることがわかってきた。ノンレム睡眠が深くなると大脳皮質では、錐体細胞とよばれる大型のニューロンの発火が、だんだんと同期してノンレム睡眠第3段階、第4段階で見られるスローウェーブ(徐波睡眠)が起こるようになる。
この錐体細胞の同期的な発火が、ニューロンじたいの維持や細胞間のつながり、再構築に重要な働きをしている可能性がある。
レム睡眠と記憶
自身の夢日記を集めたハーバード大学のアラン・ホブソンは、夢の中のストーリーの特徴として、恐怖や喜びなどの強い情動(感情)、非論理的なストーリー展開のほか、運動性という特徴をあげている。
夢の中で、何らかの運動をしているのが多いのは、夢を見るレム睡眠時に脳幹の運動に関わる部分が活動しているからだという。このことは、レム睡眠時に運動技能などの「手続き記憶」の強化となんらかの関係があるのかもしれない。
睡眠と覚醒
ヒトを含む動物は、注意を向ける為や行動を起こす為に覚醒している。覚醒は食物などの報酬を探索する行動や、危険に対する恐怖や不安などの情動に深く関係している。つまり「食っていくため」、そして「食われないため」に、覚醒が必要なのだ。
逆に、満腹で適切な温度や安全が確保された環境であれば、脳や身体を休めるために睡眠のチャンスとなる。睡眠と覚醒の関係をみていると、極論すれば、動物やヒトにとって「睡眠している」状態こそがデフォルトであり、必要なときに「無理をして」起きているという考え方もなりたつ。
本能行動の1つである睡眠をコントロールしているのは、恒常性の中枢であり、情動や本能行動にも関わっている視床下部である。しかし、睡眠と覚醒は、脳全体におよぶモード変換であり、視床下部だけで睡眠と覚醒が制御されているわけではない。
睡眠と覚醒の脳全体におよぶモード変換には、視床下部からの働きかけを脳全体に伝えるシステムが必要になる。情報処理機構である大脳皮質の活動モードの変換を引き起こすシステムは、大脳の付け根の部分にある脳幹(のうかん)になる。脳幹は呼吸や循環などを統制する中枢であり、生命維持装置としての働きをしている。
睡眠システムと覚醒システム
睡眠の状態になるか覚醒の状態になるかは、視索前野(しさくぜんや)の「睡眠システム」と脳幹の「覚醒システム」の力関係によって決まることになる。「覚醒」という状態と「睡眠」をいう状態は、相互に移行するが、基本的に独立していて混在することがない。そして、睡眠を作り出すシステムと覚醒を作り出すシステムは、お互いに抑制しあう関係にある。
睡眠システム
深いノンレム睡眠(徐波睡眠)では、脳全体の血流量が低下し、覚醒に強く関わる脳幹、前脳基底部、視床の活動が顕著に低下する。脳の休息状態になるノンレム睡眠の時に唯一、活動が高くなる部位が「睡眠中枢」の活動である。睡眠中枢は、視床下部の前部である「視索前野」にあり、睡眠は、睡眠中枢が活性化することによってつくりだされている。
睡眠中枢には、睡眠時にのみ活性化されるニューロン(睡眠ニューロン)が存在している。このニューロンは、抑制性の神経伝達物質であるGABAをもつGABA作動性ニューロンであり、覚醒を導きだす脳幹の覚醒システムを強力に抑制する。
覚醒システム
覚醒は、脳幹が生み出す「モノアミン作動システム」と「コリン作動性システム」の2つのシステムがともに活動することによって大脳皮質の広範な部分が刺激されて引き起こされる。脳幹が生み出すこの2つのシステムをコントロールするのは、視床下部であり、モノアミン作動システムとコリン作動システムの活動の組み合わせが、変化することによって、覚醒、ノンレム睡眠、レム睡眠という3つの状態が切り替わる。
睡眠負債について
睡眠を観察してみると、眠気の出現や睡眠の深さは、その直前までの覚醒期間の長さや、心身の疲労度に影響を受けている。こうした現象を概念的に説明するため「睡眠負債」という言葉がある。睡眠をとらない時間だけ、負債を生んでいるという考えである。睡眠負債がどんなメカニズムなのか、あるいは物質なのかは、よくわかっていない。
ウィスコンシン大学のジュリオ・トノーニは、覚醒時に大脳皮質が活発に活動することにより、大脳皮質のニューロン間のシナプス強度が全体的に上がることが、睡眠負債と深く関連すると考えている。
覚醒時に脳を使うことによって、脳内でさまざまな部位のシナプスが強化されるが、度を越してしまうと脳が過活動になってしまう。睡眠時に不必要なシナプスが削除され、必要なシナプスが残されるという「最適化」が行われる。シナプスが最適化されることで、全体的なシナプスの強度が低下するとともに睡眠は浅くなっていくという。
シナプスの強さは、そのまま睡眠の深さ、つまり錐体細胞の同期性の強さに相関するという。つまり、脳全体のシナプスの強度こそが、睡眠負債であるという。
何時間眠るのがよいか
毎日の睡眠時間には、比較的大きな個人差がある。アメリカでおこなわれた大規模な調査では、7時間の睡眠をとるヒトがもっとも長命であるとされている。しかし、この調査には疑問点が多い。人は歳をとるほどに必要な睡眠時間が減少していくが、この調査ではその点が考慮されていない。調査対象に長寿のヒトが多いほど統計的な睡眠時間は短くなる。
健康なヒトであれば、眠気は脳が質的なあるいは量的な不足を訴えていると思っていい。脳や身体はある程度、睡眠欠乏に耐える許容度や柔軟性をもっているが、無理はあとで埋めあわせる必要がある。長く覚醒が続いたほど脳内で睡眠負債は増えていく。睡眠は、眠気を感じないだけ眠ればよい。
まとめ
脳を成長させ、有効に使うために鍵となるのは、日々のたゆまぬ努力と、よい睡眠だと私は考えている。ヒトはその高度な精神活動と創造力によって文明を築き上げ、数々の芸術を遺し、科学を発展させてきた。鍛錬によって驚くべき技も身につけることができる。これらを可能にしているのは、成長する脳の機能である。
「睡眠」は、脳の機能を支えるために必須の機能である。睡眠は外部からの刺激がなくなったことによって起こる受動的な状態であると考えがちである。しかし、実のところ睡眠は脳が積極的に生み出す状態であり、身体の、とくに脳のメンテナンスに必須の機能であることが明らかになってきている。
睡眠は単なる「休憩」の時間と勝手にかたづけていないだろうか。生活が多様化し、情報化していくなかで睡眠に与えられる時間も時間帯も不規則になり、不足気味で質的にも問題がでてきている。確かに睡眠は休息の時間でもあるが、それは睡眠がもっている機能のごく一部にすぎないのだ。多くの人に睡眠のもつ機能、睡眠の重要性を理解していただきたいと思う。 眠りにまさる「癒し」はこの世に存在しない。
上記は「睡眠の科学」を読み、睡眠について学んだ内容のまとめです。著者は1998年に睡眠や覚醒を制御する「オレキシン」を発見した睡眠研究の第一人者である櫻井武 氏です。明確な解答がでていない「睡眠」について、睡眠研究の歴史や発見のプロセスなど、睡眠に関わる疑問に丁寧に解説されている本でした。まとめは、本の序章です。「睡眠と覚醒を切り替える脳のしくみ」や「覚醒のメカニズム」について、さらに深く書かれています。時間を掛けて読みましたが、科学的な内容ですので、正確な内容は本を読んでください。