歴史はたえず書き換えられる

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歴史を学ぶことで、私たちはどこから来たのかがわかります。その知見をもとに、どこへ行くべきなのかを探るのです。

池上彰(Ikegami Akira
著書:大人の教養
発行 2014年4月10日
第六章(引用 / 超訳

歴史について話します。

歴史は、時代によって書き換えられます。為政者に都合のいいように書き換えられることもあれば、科学的知見の積み重ねによって評価が変わることもあります。歴史を知らないと、私たちは愚かな失敗を繰り返します。歴史に学ぶことで、失敗を未然に防ぐこともできます。

歴史とはなんなのか

過去の様々な歴史というのは、勝者が残した記録を後世の学者が分析をしてつくり上げたものです。一方で敗者の歴史というのは、この世界から抹殺されています。ですから、私たちが学んだ歴史は言ってみれば氷山の一角で、実はそれ以外にも知られざる歴史がたくさんあるということを、常に頭の片隅にとどめて歴史とつきあっていくべきです。

歴史はひとつではありません

日本の学生は、高校で世界史という科目を習います。昔、私が習ったころの世界史の教科書には、イスラム世界の歴史は、ほとんど出ていませんでした。今でも南米の歴史、あるいはアフリカの歴史は、ほとんどでてきません。というのは、そもそも世界史という科目は、ヨーロッパ中心の歴史としてつくられてきた経緯があるからです。

ヨーロッパの歴史学を輸入して、日本の世界史はつくられてきたわけですから、その内容はヨーロッパ中心ということになっていきました。そうすると、私たちの歴史観には、無意識のうちにヨーロッパ中心的な発想が刷り込まれてしまっている側面があるわけです。そしてヨーロッパの歴史観の根底には、キリスト教的な歴史観があります。

2011年に日本で翻訳が出たアフガニスタン出身のタミム・アンサーリーという人が書いた「イスラームから見た世界史」という本があります。こうした本を読むと世界史と言うけど、私たちは地球上の半分の歴史しかみていなかったということを実感します。

逆にいえば、今のサウジアラビアでは、イスラム絶対主義のもとで、ほとんどイスラムの歴史しか教えていません。欧米の歴史は、ほとんど教えられない。だから、比較する対象がないまま、絶対的な存在としてその歴史を信じてしまう。これもまた偏った歴史観につながってしまいます。

歴史はひとつではありません。私たちはまず、多様な歴史観があることを理解しましょう。

記録の蓄積が愚行を遠ざける

過去に学んでいないと、人間はいくらでも同じ失敗を繰り返します。

アフリカでは、今もさまざまな地域で内戦が起きています。たとえばコンゴ民主共和国は、1960年に独立を果たしましたが、その後いきなり内戦になりました。国連初のPKOが派遣されて以来、現在に至るまで内戦が続いているのです。また南スーダンは2011年7月に独立したばかりですが、再び内戦が起きています。

なぜ何度も内戦を繰り返すのか。それは過去にどんな出来事が起こり、どのようなことになると人々が争い、殺し合うことになるのかという知見が蓄積されていないからではないでしょうか。戦争や内戦になると、記録を残すことが難しくなります。その結果、記録の継承もできないので、愚かなことが繰り返されるのではないかと思うのです。

ヨーロッパでもかつては大変な殺し合いが起きました。日本でも戦国時代をはじめ、人びとが平気で殺し合いをした時代がありました。過去の人類はどこの場所であっても、同じような殺し合いをやってきています。

しかし、そのような殺戮合戦についてきちんとした記録を残し、その愚かさや負の影響を学ぶことができた所では、しだいに争いが減っていくのです。

「歴史の真実」は変わる

歴史を考える上で、知っておいてほしいのは「歴史は変わる」ということです。かつての日本史の教科書には、聖徳太子についての記述が肖像画と一緒に載っていました。ところが、現在の日本史の教科書を読むと、「聖徳太子」という言葉は消えつつあります。変わって厩戸皇子(うまやどのみこ)という言い方になり、例の肖像画も載っていません。

それは、史料の研究が進み聖徳太子という存在が疑わしくなってきたからです。また有名な肖像画聖徳太子ではないという味方が強くなってきました。そのため、うかつに聖徳太子について教科書に書けないことになり、かわって「厩戸皇子」としたり、「厩戸皇子聖徳太子」と表記するようになりました。

「いい国つくろう鎌倉幕府」という語呂あわせで年号を暗記した人も多い鎌倉幕府の成立についても、現在では1185年という説が支持され、縄文時代弥生時代の関係についても新たな遺跡が発見され、かつて習っていた時代のイメージはがらりと変わったのです。このように、歴史は新しい研究成果によって、次々に書き換えられていくものです。

高校入試や大学入試では、歴史を暗記科目として勉強しますが、史実を覚えることは歴史にとって本質的なことではありません。出来事と出来事の間に、どうゆう論理や因果関係が見て取れるのか。残されている史料を読み解くと、どういう出来事があったと推測されるのか。そういったところに、歴史を学ぶ面白さはあるのです。

歴史は権力によって書き換えられる北朝鮮と韓国の例)

歴史はかなり強引な形で書き換えられることもあります。たとえば北朝鮮の建国の歴史というのは、いわば建国神話と呼ぶものになっています。北朝鮮では金日成(キム・イルソン)いう絶対的な指導者が、日本の植民地支配時代から朝鮮半島で日本軍と戦い続け、遂には勝利を収めて北朝鮮という国をつくったという神話があり、それを国民は覚えさせられています。

実際には、日本が戦争に負け朝鮮半島から引き揚げると、北半分にはソ連ソ連式の国をつくりました。それまでソ連軍の大尉としてソ連軍と行動を共にしていた金日成北朝鮮に連れてきてトップに据えたのです。

金日成は、戦争末期にはソ連の基地にいて、そこで息子の金正日も生まれているのですから、朝鮮半島で戦っているわけがありません。

自分たちの力だけで国をつくることができなかった、このコンプレックスをはねのけるにはどうしたらいいか。そこで、自分たちの力で国をつくったという歴史を生み出すわけです。

実は、同じようなことが韓国でも行われています。

韓国は、日本の敗戦後に国連の主導で総選挙が実施され、その結果、李承晩(イ・スンマン)政権ができたと私たちは習いました。でも実は、日本が朝鮮半島を支配しているころから、上海に韓国臨時政府というものができていました。いわば亡命政権ですが、名前だけで実体はまったくなかった、この臨時政府の初代大統領に就任したことがあったのが李承晩です。

しかし、李承晩は「臨時政府」の大統領を罷免され、戦争が終わるまで、朝鮮半島にはいませんでした。戦争が終わった直後、朝鮮半島に戻り、アメリアでのロビー活動の甲斐あって大統領の座におさまるのです。

言ってみれば、李承晩も金日成と同様に他国に連れて来られる形で大統領になったのでした。彼らにしても自分たちの力で国をつくることができなかったコンプレックスを抱えています。

現在、韓国政府は上海につくられた臨時政府を継承するものとして、憲法にも書かれそうゆう歴史として韓国の若者が学んでいます。つまり、上海にあった臨時政府が、日本と日本の支配に対して戦った結果、現在の韓国があるという歴史をつくり出したのです。

北朝鮮にせよ韓国にせよ、日本に戦争で勝利した結果、誕生したということを強調しているので、これは結果的に反日教育になります。いかに日本が残虐なことをしたかを強調する歴史が語られることになるわけです。

政治的意図による歴史づくり(中国の例)

中国においても、歴史は書き換えられました。戦時中「国共合作」といって国民党と共産党が一緒になって日本の侵略と戦うことになりましたが、実際に日本軍と戦ったのは国民党が中心でした。だからこそ国民党が弱くなり、やがてソ連からの武器の援助を得た共産党が国民党に勝って築き上げた国が中華人民共和国です。

国民の選挙で選ばれたという政治的正当性はありません。では、どうするか。日本軍と戦い、人びとを「解放した」ことに政治正当性を求めました。

なぜ共産党に政治正当性があるのか。それは日本軍の侵略と戦って勝ち、中国の人びとを圧制から救ったからだという歴史をつくり、それを教え込むわけです。日中関係は実は中国の国内問題だとよく言われます。

実際、中国で共産党の支配が揺らぐと、そのたびに反日キャンペーンが行われます。共産党支配が揺らぐと「日本はひどかっただろう。その日本と戦って、人びとを解放したのは共産党だということを忘れてはいけない」というアピールに躍起になるわけです。

中国でつくられた公式の歴史では、日中戦争において国民党の存在感は稀薄です。しかし最近になって国民党政権の台湾を将来的には中国に取り込んでしまいたいという明らかな政治的意図によって、中国国内で今、日中戦争のときの国民党の戦い方の再評価、歴史の見直しが行われているということです。

歴史とは勝者が描いたものであると同時に、その時どきの政治の事情や都合によって、見直され書き換えられるものなのです。

北朝鮮、韓国は、ある意味では非常に歪んだ勝利の仕方だったために、勝者たちは建国神話を歴史としてつくり上げた。中国でも勝者の正当性を打ち立てるために、自分たちの歴史をつくりました。

日本の現代史にも、勝者の歴史というものが強く反映されています。戦後の日本には「東京裁判史観」という言い方があります。勝者である連合国が敗者の日本を裁きました。この裁判によって、戦時中の日本軍による残虐行為が次々に明らかにされます。そのことに国民は大きな衝撃を受けたと同時に、その以後、日本は侵略行為を深く反省しなければならないという歴史観を持つことになりました。東京裁判をどう評価するかという点については今なお意見が割れています。

歴史とどうつきあっていくべきか

歴史は、時代によって書き換えられます。為政者に都合のいいように書き換えられることもあれば、科学的知見の積み重ねによって評価が変わることもあります。 歴史を知らないと、私たちは愚かな失敗を繰り返します。歴史に学ぶことで、失敗を未然に防ぐこともできます。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉もあります。自らの経験のみに頼るのは愚かなことである、他人の経験を記した歴史に学ぶべきだ、ということですね。歴史を批判的に眺めながらも、学ぶべき知見は現代に生かす。難しいことですが、その積み重ねによってこそ、私たちは過去の愚行を繰り返すことから逃れられるのです。

歴史を学ぶことで、私たちはどこから来たのかがわかります。その知見をもとに、どこへ行くべきなのかを探るのです。

*上記 本の一部を超訳したものです。